僕の劣等感は”恥ずかしい”だった

僕の劣等感は”恥ずかしい”だった

人間は誰しもが劣等感を持っています。

 

僕の劣等感は”恥ずかしい”

そんな僕の中での劣等感は“(できない自分が)恥ずかしい”という気持ちです。

そこには自分の中では強烈な原体験があります。

それは中学生のころに遡ります。

内容はほとんど覚えていないのですが、多くの学生がいる前で話す機会がありました。

そこで一切話す内容が頭から吹き飛んでしまい、頭の中が真っ白になってしまったことがあります。

僕の中ではすごく強烈に恥ずかしい瞬間でした。

小学校の頃は学級委員をやったり、読書コンクールでスピーチをしたりして皆の前で話すことにほとんど抵抗がなかった自分がその場でそうなってしまったのがなぜなのか未だにわかりません。

でも、その時からけっこう長い間皆の前で話すというのがすごい恐怖の体験でした。

 

劣等感はノウハウでは克服できない

僕は未だに多くの人の前で話しをすることが得意ではありません。でも、たぶん苦手でもありません。

ただ、その時の体験が非常に強烈だったのでどうやったら克服できるのかと試行錯誤した時期もありました。

それこそ、皆の顔をカボチャだと思おうとか、場数を踏めば大丈夫とかいろいろとノウハウの習得にはしりました。

 

劣等感は克服するものではなく、付き合うもの

ノウハウを学ぶこと自体は大切なことです。

しかし、これまでノウハウを学んでも克服できたと思うことはありませんでした。

ただ皆の前で話しをする多くの場面があったお陰で、劣等感を感じることがなくなりました。

これはつまり受け入れることができたということだと思います。

 

なんでも上手にできなければいけないという観念

僕らが拾う情報も、ノウハウを学ぶ時も当然上手な人から学ぼうとします。

そうすると、なんでも上手にできて当然と思ってしまいます。

一方で上手であれば良い、下手であれば悪い、そんなことはありません。

基本はそれぞれにできることをすること。伝えたいことを気持ちを込めて表現すること。

そういうことです。

 

大切なことは自分を知れたこと

僕の中でこの経験が今活きています。劣等感というのは人間にとって非常に大切な学ぶべきことがそこにあります。

またその学びを通して伝えられることもたくさんあります。

昔の自分であればこれをブログに書くことにすごい抵抗感があったと思いますが、今はこれをスラスラと書けている自分がいます。ものすごい成長です。笑

 

重要な自分の価値観に気付いた時、在り方が変わる

劣等感を紐解くと自分にとって大切な価値観がそこに現れてきます。

それはほとんどの人に共通する”成長したい”という根源的な欲求に行き当たります。

そう考えるとけっして劣等感は悪いことではありません。

自分の特性を受け入れ、自分がどう在りたいか。そして自分の在り方が見える環境を変え世界を変えていきます。

 

好きなことにワクワクして生きる

やはりここに行き着きます。ワクワクして生きていること(そう在ること)が自分を活かすことに繋がり、積極的な人生を生み出します。