理由付けの間違い

理由付けの間違い

僕たちは自分の価値観で物事を判断します。

それはしょうがないことです。

 

若者論

常々このブログでも書いてますが、いつの時代にも「今の若者は〜」という若者論があります。これは昔の本を読んでもでてきます。人はたいてい自分の生きた時代(過去)を今に当てはめて考えてしまうものです。往々にして今では世代間の情報格差に起因するとう論調が多いですね。

 

気をつけていること

先ほどの世代間の情報格差やテクノロジーの発展は僕たちの想像以上のものをもたらします。そのこと自体は今生きている人たちにとって善悪両面が生じます。どんなことでも同じですが考え方ですよね。ただ、僕が気を付けているポイントはその外部環境(情報量やテクノロジーの発展)を理由に現実をみて因果関係がこじれないようにすることです。

例えば、

因:ゆとり世代 → 果:積極性がない 理由:ゆったりと教育をされたから

因:言われたことができない → 果:想像力がない 理由:小さいころから電子機器に触れているため、既成の情報ばかりに触れ自らの想像力を養う機会がない

といったことです。

 

理由は必要?!

何度も言うように、自分から見た他人を判断する時にこういった理由付けをすること自体は悪いことではないと思います。ただ、この理由付けに全ての人が当てはまるわけではありません。その上、万が一その理由がわかったとしても現実は変わりません。理由があっているかまちがっているかは知ってもあまり意味がありません。なぜなら外部環境における要因だから変えようがないからです。不可抗力です。

 

ではどうするか?

僕が書道家として生徒さんを教える時は、まず自分ができることを考えます。例えば、自分の教え方を変える必要があるのではないかとか、生徒さんにもっと寄り添って価値観を共有してもらうと良いのではないかとか、もっと相手を信じてその上で根気強く指導していくとかです。これらは外部環境に依存することなく、自分ができることです。たくさんの生徒さんを指導してくる中でいろいろ苦労した結果こういったところに行き着きました。

 

自分の正義を振り回さない

ちょっと話が大きくなってしまいますが、自分が正解と思うことや正義と思うことを自分以外のものに当てはめないようにと意識してます。自分の中で曲げられないこともありますが、それが決して正解であるとかその他の考えがまちがっているとかなるべく自己の中にとどめておくようにします。なので、何かをいうときに自分の意見を主張するときは「僕は〜と思います。」と言います。相手に自分の正義を通そうとすると必ずいつか衝突がおきます。これが争いごとの本質だと思うんです。実はお互い自分が正義だとおもって戦っているんです。これがひいては戦争の引き金になります。

 

うまく言えませんが…

要するに自分は自分、他人は他人と考えることが大切です。